自分も出場経験をした事がある鳥人間コンテスト選手権大会に関連した情報ページです。
最終チェック合格に私は心の中で高専初のフライトと当時の5年生や協力してくださった方々に感謝の気持ちで一杯でした。私達はRTR特製オリジナルTシャツ(後ろ部分には校章とその校章を円状に取り囲むTokyo Metropolitan College of Aeronautical Engineering という文字と袖にはがんばれ南千住という文字があった)を着ていた。
ちなみにその後このオリジナルTシャツの後ろ部分の校章とその校章を円状に取り囲むTokyo Metropolitan College of Aeronautical Engineering という文字は伝統として根強く残っている。この年は当時学生指導室の田原正夫教授も急遽駆けつけていただき、同好会を支持なさっておられる教授に心より感謝し、改めて感動しました。
最終チェック合格後に休む暇もなく、プラットホームへの移動を指示されました。本当に移動中も作業は進められました。当時移動するごとに機体を支える自作の支持台が無い為に全員で機体を支えながらの移動となったので、炎天下での移動の為脱水症状にならない様に必死になって保護者達の水分補給には今でも言葉に言い表せない程感謝している。(1部保護者の心無い行動もあったのでそれは許せないと思った)
合計3時間待ちという異様な事態にじっと耐えながらついにプラットホームに着いた。都立大学MAPPLE OB長谷川さん指導の元(本当に同好会ではこの人を当時知らない人はいなかった)風をじっと待った。ゲートオープンが告げられ緊張は最高になっていた。旗が赤旗から白旗に変わった。パイロットが「3・2・1…スタート」と言い一斉に走り出す。この姿は一生忘れられないものになった。ついに初出場機体は琵琶湖の空を舞った。パイロットは一生懸命コックピットに入り足をかけようとするも前のめりになり機体を起こそうと必死にがんばる。みんなはパラットホーム最前列に並び応援する。
機体が起きようとした時に着水。フライトの記録は36.17mとなったが私にとっては感動あるフライト…私達が作った機体が空を舞った…ついに鳥人間コンテストで全国高専62校の中で初めて飛べたことへの感動がぐっとこみ上げてきた。
フライトが終了してみんな感動し涙を流しながら応援席へと一斉に駆け出した。嬉しかったのと機体に対する感情がそうさせたのかもしれない。とにかく嬉しかった。応援席では保護者が感動し「おめでとう」といい中には感動のあまり涙を流していた。そして、機体が戻ってきた。
レジャーボートに曳航されてくる機体を見て「カーボンパイプを守れ。緊急排水して解体だ!」と高櫻先輩が言い、一斉に琵琶湖に服装など関係無しに駆け出して入り、みんなで機体を支えて岸に上げて解体した。みんな疲れを忘れて感動に浸った。このとき高櫻さんは14日連続徹夜・私は7日間連続徹夜という異様な事態にもかかわらず疲れを忘れ感動に涙しながら都立大学MAPPLE OBである長谷川さんや秋本さんのところへ行き、「ありがとうございました」と一斉に言った。
長谷川さんは涙を流し「よくがんばったね」といってくれました。私は鳥人間コンテストには「チームを越えた助け合う」というこの鳥人間コンテストの良さが改めて実感できました。自分のチームの場所に戻って私はすべてが終わってから涙を流してその格好で琵琶湖の中で全員1人1人の胴上げが行われた。スイカも嬉しさのあまりみんなで投げているほど自分を忘れていた。その後、全国高専初の連続出場を達成し現在に至っています。
この図面製作より設計図面に初のCADを採用して綺麗な図面を作成することが可能となった。しかしこれにより部品図の製作等の工程において遅れが生じてしまい、全体の機体製作にも遅れを生じてしまった原因の1つとなった。当時からAutoCADを授業で学び、使いやすいことが採用のきっかけになりました。この年よりAutoCADでの図面製作はある意味伝統となっている。
・CADに関するメリットとデメリット
CADは確かに効率などの向上には大いに貢献する結果となったが、今考えれば結局それが原因で作業が余計に遅れたり、間に合うという安心感を招く結果になっているとも考えられると思う。結局新しいことも大切だが、基本的なことはきちんと学んでおくべきではないかと思う。
初出場時、パイロット:堀田 勲先輩を中心として右翼は後輩岩崎(第2期設計者)、左翼は矢野(リブ切り職人)、ブームにはこの機体の製作内容をチームで1番把握していた高櫻 修平先輩であった。この時のコックピットを囲う部分が鷹の様に見えていて、現地で作ったとは思えないほど意外とかっこいいと評判が立ったとフライト終了後に知る事となりました。このフライトと終了後にみんな感動し泣いていた。私はすべてが終わってから涙を流してその格好で琵琶湖の中で全員1人1人の胴上げが行われました。